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2006年 01月 15日

赤穂

所用があって赤穂に行った。
播州赤穂駅に降り、駅前の大通りを南に5分ほど行ったところに、赤穂藩上水道という
標識が立っていた。赤穂藩上水道は、下津井藩主 池田忠継の代官、垂水半左衛門
の指導のもと、慶長19年~元和2年(1614~1616)の3ケ年で完成させ、神田上水
(東京都)福山上水(広島県)と並ぶ日本三大上水道の一つであるという説明文を読んで
興味をもった。私は福山に縁があるが、残念なことに福山上水道については何も知らな
かったので、今度福山に行ったときに調べることにして、今は、赤穂藩上水道について、
調べてみることにした。
上水道は、のちの松平時代、浅野時代に形が整えられ、森時代に受け継がれ、さらに
明治・大正・昭和と赤穂の町を潤し、昭和19年(1944)新上水道にその役目を引き継
いだ。
赤穂の城下町は、熊見川(現千種川)河口デルタ上に景清されたため、海水の混入する
堀り井戸では、飲料水が確保できず、約7k上流の千種川から取水し、導入路で運ばれた
水がこし場で配水管に分岐・排水されていた。配水管からさらに給水管によって、各戸に
給水されていた。赤穂藩上水道は、共同井戸だけでなく、町民・武士を問わず各戸までに
給水されていたのが、大きな特色だという。
赤穂_c0009190_2316116.jpg

右上の井戸
浅野長矩の刃傷の凶報をもって早かごで江戸より駆けつけてきた早水藤左衛門、茅野
三平はこの井戸で一息ついて城内の大石内蔵助邸に入った。

by seico5822 | 2006-01-15 23:35 | 旅行


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