2008年 04月 13日
四万十川の支流後川に架かる後川近くに四ヶ村溝の水車がある。四ヶ村溝は、藩政時代、土佐藩奉行の野中兼山により、四万十川の支流後川の麻生に分水目的の井堰を設け、秋田・安並・佐岡・古津賀を灌漑するため作られたもの。この溝から水田に水を汲み上げるため数多くの水車が設置され、その豊かな風情は「四ヶ村溝の水車」の愛称でしたしまれた。今も3月中旬から9月下旬まで大小10数基の水車が回っている。 野中兼山(1615~1663年) 初代土佐藩主山内一豊の甥の子に当たり、21才で奉行職に就き、二代藩主山内忠義に藩政改革を命じられ、その後1663年まで27年間にわたって藩の執政となり、、藩政確立に尽力した。新田開発や土木事業など多くの業績を残しているが、反面厳直峻烈な性分もあって政敵も多く、二代藩主忠義が隠居しその後藩主になった三代藩主忠豊により弾劾をうけ失脚、宿毛に幽閉される。3ヶ月後兼山は死亡(49歳)したが、一族の幽閉は続き、幽閉が解かれたのは兼山死後40年たっていた。大原富枝の『婉という女』は、3歳の時幽閉が始まり、43歳の時やっと幽閉が解かれた兼山の娘婉の生きざまを書いたものである。
by seico5822
| 2008-04-13 23:03
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