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2010年 05月 20日

アテネ(2) アクロポリス

  アクロポリスに入って最初にヘロディス・アティコス音楽堂を訪れた。

ヘロディス・アティコス音楽堂
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  マラトンの富裕なヘロディス・アティコスにより161年に建設された。もとは建物全体が屋根で覆
  われ、この建物とディオニソス劇場とは長い柱廊によって結ばれていた。
  ディオニソス劇場は酒と演劇の神ディオニソスの聖域に造られたギリシャ最古の劇場。
                                                 (前6世紀)
 
現地ガイドがアクロポリスの復元図を見せて説明してくれた。
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  左下の半円形…ヘロディス・アティコス音楽堂
  右上の半円形…ディオニソス劇場

ヘロディス・アティコス音楽堂よりフィロパポスの丘を眺望
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  フィロパポスの丘の頂上には、2世紀の初め頃のローマの執政官でアテネのために尽くした
  フィロパポスのために、当時のアテネ市民が彼を記念して建てた墓標がある。
ヘロディス・アティコス音楽堂よりヘファイトス神殿を眺望
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  ヘファイトス神殿は古代アゴラ(市場)の西に位置するコロノスの小丘の上に建つ大理石の神殿。
  紀元前5世紀中頃に建設されたドーリス様式の周柱式神殿でパルテノン神殿に類似している。
  ヘファイトスは鍛治と金属加工の守護神で、この神殿の建っているコロノスの丘の斜面で溶炉や
  工房の跡が見つかっている。

ヘロディス・アティコス音楽堂よりフィロパポスの丘やヘファイトス神殿を眺望した後、ブーレの門を通り、
参道を上がっていくと、左側に立っているのが、アグリッパの台座で、右手の小さな神殿がアテナ・ニケ
神殿であるが、残念ながら修復中であった。参道を上りきったところにある建物がプロピレアである。
プロピレアとピナコテーク    左端はアグリッパの台座
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  プロピレアは、神域に入るための通路が設けられている中央の建物とその東西の両翼から構成
  されている。中央の建物には三角形の波風が冠されていた。正面には6本のドーリス様式の円柱
  が立っている。
  建物の内部の円柱はイオニア様式である。正面のドーリス様式の円柱と内部のイオニア様式の
  円柱の組み合わせは、このプロピレアの特徴で、建築上の傑作と言われている。
  プロピレアの北側の翼はピナコテーク(絵画展示室)と呼ばれ、当時の有名な画家の絵が飾られて
  いたそうである。
プロピレア
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プロピレアと修復中のアテナ・ニケ神殿
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  アテナ・ニケ神殿は紀元前421年に建設が始められ、設計者はパルテノン神殿建設にも寄与した
  建設家カリクラティス。イオニア式の柱を持ち、アッティカ建築の優美さがよくあらわれている。
  戦いで勝利を願うアテネ市民が戦いの女神がどこへもいけないように、翼を切り落としてこの神殿に
  祀ったという。  

パルテノン神殿
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  民主政治を築いた名将ペリクレスの命によって紀元前449年着工され、完成は前432年。 
  設計者はアテナ・ニケ神殿の設計者カリクラティスの同僚のイクティノスで、高名な彫刻家
  フェイディアスが総指揮を取る。
  パルテノン神殿はドーリス様式の周柱型の神殿で、溝の刻まれた重厚な円柱が正面(東側)と
  後面に各8本、各側面に17本立っている。柱の中央にはふくらみがあり、上部は細い。柱は少し
  内側に傾いて立っている。床も中央部分が両端より少し盛り上がっている。これは美しさと同時に
  屋根の重さを支えたり、床の水はけをよくする目的があるといわれている。
  建てられた当時、神殿は全体が彫刻像や浮き彫りなどで飾られていた。
  そのレリーフの一部(模作?)
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アクロポリスの北側(プロペリアから入るとパルテノン神殿の左側)のエレクティオン
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  乙女像の柱で知られる繊細優美なエレクティオンは紀元前408年に完成。北側にイオニア式
  円柱、南側にはカリアティスと呼ばれる6人の乙女像を柱とした柱廊が張り出している。
  伝説上の王やゼウスやアテナ、ポセイドンなど複数の祭神を合祀した。
  この6人の乙女像は複製で、オリジナルは新アクロポリス博物館や大英博物館に展示されている。
アクロポリスから北東に広がるアテネ市街とリカヴィトスの丘
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アクロポリスから東南のゼウス神殿を望む   左下はハドリアノス帝の凱旋門
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  ゼウス神殿はハドリアヌス門のすぐ南にある。ゼウス神の聖域にある神殿跡。かっての神殿は
  104本ものコリント式の柱が並んでいたという。現在は15本残存している。
  第14代皇帝・ハドリアヌス皇帝(紀元76年~136年)は124年の秋から125年春にかけて
  アテネに滞在。ハドリアヌス皇帝は128年、131年にもアテネを訪れていて、ゼウス神殿が
  建設された。
  ハドリアヌス帝の凱旋門も2世紀に建設された。

この後アクロポリスから第1回近代オリンピックが開かれたパナティナイコ・スタジアムに向かった。
パナティナイコ・スタジアム
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  1896年この競技場で第1回近代オリンピックが開かれた。この競技場はオリンピックが開かれる
  前年に、古代の競技場に近い形で復元された。座席は大理石でできており、約5万人収容できる。
  トラックは現代のものとは異なり、馬蹄型をしているので、アテネオリンピックでは使用されなかっ
  た。

これでこの日の見学は終わり、ホテルに入る。まだ昨日の騒動の余波があるので、中心街には行か
ないようにということで、ホテル周辺の住宅街を散策したが、静かで穏やかな町の光景だった。 
  
   
  

by seico5822 | 2010-05-20 21:10 | エジプト・ギリシャ・トルコ


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